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暦注などのアレコレ

■暦注(れきちゅう)とは

むかしの暦は一冊の本になっており、日付だけではなくそれぞれの日付の下にさまざまな注が記載されていた(暦注のない日付はない) 。これを暦注という。明治六年以前の、まだ太陰太陽暦(旧暦・陰暦)が用いられていた時代には、旧暦の性質上、暦とそれに記載されている暦注が、人びとの生活にはなくてはならないものだった。人々は暦注で初めて、お日柄のことを知り、生活の設計をたててきたのである。例えば、八十八夜の暦注があれば農家の人たちは農作物の晩霜による被害に気をつけた。

■九星術(きゅうせいじゅつ)とは

九星とは、人間の運勢や吉凶の判断に用いる九つの星のことで、現実の天体の星とは関係はない。九星を五行と方位に配し、これを人の生年にあてて吉凶を占う、というもの。九星術ともいう。一般に市販されている暦本には、その年の方位図が記載されている。九星による吉凶判断は、現代ではますます盛んになりつつあるが、この九星は明治以前の暦本には記載されていない。明治になって、市販の暦本に主として「占い」としてのせられ、これが盛んになったのである。

■六曜(ろくよう)について

六曜(ろくよう)とは、暦上の日を6種の吉凶日に分けたものである。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種類の曜のことで、暦注の一つである。旧暦の元旦を先勝として、続いて友引、先負、仏滅、大安、赤口とし、繰返して日に割当てている。カレンダーにも記載されることが多く、暦の中でも有名な暦注の一つである。現代の日本においても影響力があり、結婚式や葬式などの冠婚葬祭で重要視する人が多く、「結婚式は大安に」「葬式は友引を避けて」などと言われ用いられる。
・先勝(せんかち) …午前中は吉、午後は凶。先んずればすなわち勝つ。
・友引(ともびき) …朝晩は吉。昼だけ凶。凶事に友を引く。勝負なき日。
・先負(せんまけ) …午前中は凶。午後は吉。先んずればすなわち負ける。
・仏滅(ぶつめつ) …仏も滅亡するような最悪の日。
・大安(だいあん) …万事に吉。成功せざることなき日。大変めでたい日。
・赤口(しゃつこう) …正午(12時)の刻だけ吉、朝夕は凶。祝い事は大凶。火の用心。

■雑節(ざっせつ)とは?

二十四節気、五節句のほかに、一年間の季節の移り変わりをつかむために、補助的な意味あいもあって、特別な暦日が暦に設けられるようになった。これを雑節という。
・節分(せつぶん)…大寒より15日目、立春の前日で、2月3日、4日にあたる。節分はもともと、立夏、立秋、立冬の前日をさし、四季の変わり目を意味していた。しかし、いつからか立春の前日だけが暦に記載されるようになった。
・彼岸(ひがん)…春分、秋分の日をはさんで前後3日ずつ計7日の間を彼岸という。彼岸の初めの日を彼岸の入り、終わりの日を彼岸の明けという。彼岸は日本独得のもので、もともと仏教の行事が暦に記載されるようになって行事となった。
・社日(しゃにち)…一年に2回あり、春分と秋分に最も近い戊の日である。前後、同日数の場合には、前の戊の日をとる。春の社日を春社、秋の社日を秋社という。
・八十八夜(はちじゅうはちゃ)…立春から数えて八十八日目で、5月2日頃。あと3日もすれは立夏であるが、むかしから「八十八夜の別れ霜」「忘霜」「九十九夜の泣き霜」といって、遅霜の時季である。
・入梅(にゅうばい)…「つゆいり・ついり」ともいう。現在では、気象上では太陽が黄経80度に達した日を入梅としている。しかし、実際は梅雨とは直接の関係はない。
・半夏生(はんげしょう)…七十二候夏至の末候にあたる。雑節のなかにも数えられる。太陽が黄経100度に達したときで、夏至から11日目にあたる。新暦で7月2日頃。梅雨の終期で、農家の人たちは、この日までに田植えをすませた。
・土用(どよう)…旧暦では、立春、立夏、立秋、立冬の前の18、19日間をすべて土用といっていた。現在では、夏の土用だけが残り、この間に暑中見舞いを出したり、土用の丑の日にうなぎを食べたりする。七月下旬にあたる。
・二百十日(にひゃくとうか)…立春から数えて210日目をいう。新暦で9月1日頃。この時期は稲の開花期にあたり、台風の襲来を警戒すべき日として、暦に記載されている。
・二百二十日(にひゃくはつか)…立春より数えて220日目をいう。二百十日と同じ意味をもつ。二百十日と同じく、作者は渋川春海だといわれるが、前出の二百十日同様、異説がある。

■二十四節気

二十四節気(にじゅうしせっき)とは、太陰太陽暦(旧暦)では季節を表すために用いられていたもので、1年の太陽の黄道上の動きを、視黄経の15度ごとに24等分して決められているもの。
全体が春夏秋冬の4つの季節に分類され、それぞれを6つに分けて、節気(せっき)と中気(ちゅうき)を交互に配している。
※春
・立春(りっしゅん)…冬と春の分かれ目にあたり、節分の翌日(2月4日頃)。
・雨水(うすい)…立春後15日目。いままで降った雪や氷が解けて水となり、雪が雨に変わって降るという意味。
・啓蟄(けいちつ)…新暦3月6日頃。この頃になると、虫が地上へ這い出してくるという。
・春分(しゅんぶん)…新暦3月21日頃。昼と夜の時間がほぼ等しくなり、この日以降は昼がだんだん長くなり、反対に夜が短くなる。
・清明(せいめい)…春分後の15日目。清明は「清浄明潔」を略したものといわれ、春先の清らかでいきいきした様子。
・穀雨(こくう)…新暦4月21日頃。春雨のけむるがごとく降る日が多くなり、田畑をうるおしてその成長を助け、種まきの好期をもたらす。
※夏
・立夏(りっか)…新暦5月6日頃。山野に新緑が目立ち、夏の気配が感じられてくる。
・小満(しょうまん)…新暦5月21日頃。麦の穂が成長し、山野の植物は花を散らして実を結び、田に苗を植える準備などを始める季節である。
・芒種(ぼうしゅ)…新暦6月6日頃。五月雨が間断なく降り続く。芒種とは稲を植え付ける季節を意味している。
・夏至(げし)…新暦6月21日頃。北半球では昼が最も長くなり、反対に夜が最も短くなる。
・小暑(しょうしょ)…新暦7月7日頃。小暑の前後に梅雨があけ、夏の太陽が照りつけて、暑さは日増しに加わってくる。
・大暑(たいしょ)新暦7月23日頃。ますます暑くなり酷暑の季節である。夏の土用はこの季節に入る。
※秋
・立秋(りっしゅう)…新暦8月8日頃。暦のうえでは秋に入るが、実際には残暑はきびしく、立秋の頃、高温のピークに達する。
・処暑(しょしょ)…新暦8月23日頃。暑さがやむの意味から処暑という。収穫の侯も目前となる。
・白露(はくろ)…新暦9月8日頃。秋分前の15日目にあたる。白露は「しらつゆ」の意で秋の趣をひとしお感じさせる。
・秋分(しゅうぶん)…新暦9月23日頃。彼岸の中日で国民の祝日。先祖を敬い、亡くなった人の御霊を偲ぶ日として親しまれている。
・寒露(かんろ)…新暦10月8日頃。五穀の収穫もたけなわで、農家ではことのほか繁忙。肌にそぞろ寒気を感じ始めるようになる。
・霜降(そうこう)…新暦10月23日頃。秋も末で、霜が降りるという意味から霜降という。冬の到来が感じられてくる。
※冬
・立冬(りっとう)…新暦11月7日頃。冬に入る初めの節で、冬の気配がうかがえる。
・小雪(しょうせつ)…新暦11月23日頃。本格的な降雪はないものの、遠い山嶺の頂には白銀の雪が眺められるので小雪という。
・大雪(たいせつ)…新暦12月7日か8日頃。山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。いよいよ冬将軍の到来が感じられる時季。
・冬至(とうじ)…新暦12月22日頃。太陽が赤道以南の南半球の最も遠い点に行くため、北半球では昼が一年中で一番短くなる。
・小寒(しょうかん)…新暦1月6日か7日頃。小寒とは寒気がまだ最高までいかないという意味である。寒風と降雪に悩まされる。
・大寒(だいかん)…新暦1月21日頃。極寒の辛苦にさいなまれ、寒さの絶頂期であるが、春はもうすぐ間近に迫っている。

■七曜(しちょう)とは

七曜とは、いわゆる日月火水木金土の一週間のことである。七曜は、今日のわれわれの生活には欠かせないものとなっている。七曜は空海が中国から日本へもってきたと伝えられる。江戸時代の暦をみると、この七曜にも、それぞれ吉凶がつけられていた。空海以後、朝廷で編さんされる具注暦には、この七曜が記されるようになった。日曜日のことを「蜜」または「日曜」と記された。のちに七曜は神格化されて七曜星となり、それぞれ吉凶がつけられるようになり、民衆のなかに入っていった。
(日曜星)→財
此の日は万事よし、財宝に縁あり、商人は利徳倍増、不信心の輩は病あるか、妻子に水損あるか、口舌ごとあるか、食あたり等あるべし、信心してよし、家造り普請等悪し。
(月曜星)→吉
此日は万事よし、但し不信心の輩は火難水難に会ふ事あり、慎むべし、また鼻口中を患らふ事ある日なり、気をつくべし、婚姻出行に悪し。
(火曜星)→凶
此日は旅立万事悪し、その内にも二、三、五、七、 九、十一月此七月の内にあたれば病事あるか、災事か損多くあるべし、慎みて良し。
(水曜星)→喜
此日はまことの信心の輩は内外の喜び事あり、財宝を求むるも商の道にも良し、但し水辺を慎むべし、平人は二、三月の内此日にあたれは損か病ひ事か、口舌盗人事あり、入学に良し。
(木曜星)→吉
此の日は万事よし、正直なる人は財宝を得、少しの災ひは消へうせ、大なる災ひも忌むべし、牛馬にたたるか、口舌あり、衣を裁ち、入学などに凶。
(金曜星)→凶
此の日は万事凶、口舌口論、刃ものなどにて怪我ありて慎むべし、信心の輩は諸事に利徳あり、春は旅立ち悪し、災難来る日なり。
(土曜星)→病
此の日は口舌事あり、腹中の患ひあり、男は腫物、女ははらむことあり、正、三、五、六の月此日にあたれは病ひごとあるか、損をすることあり、病ひなき家には、憂ひごとあり。

■十二直(じゅうにちょく)とは

現在市販されている暦を見ると暦の中段に十二直なるものがある。この中段十二直は、別名、十二客、十二建ともいわれ、略して「中段」とかいわれている。十二直は日の吉凶を見るためのものである。江戸時代には日々の吉凶を見るうえで、最も重視されたもので、現在でもこれを利用している人は多い。なお、「直」はアタルの意味があり、「客」には他より来て宿るという意味がある。
■十二直のしくみ
十二直は次のようなものである。
建(たつ) 除(のぞく) 満(みつ) 平(たいら) 定(さだん) 執(とる)
破(やぶる) 危(あやぶ) 成(なる) 納(おさん) 開(ひらく) 閉(とず)
いつ頃かははっきりしないが、十二支を方位に配当するようになり、北斗七星の回転が結びついたのが十二直である。中国では、古くから北斗七星に大いなる興味を示していた。一年中、ほとんど同じ位置にいる北極星の近くで、天空を回転する北斗七星の姿は、古代人にさまざまな空想と感銘をあたえ、七星は神格化され、一つ一つに万物の運命を支配する力があると考えられていた。なかでも、斗柄(揺光、破軍星)は、七星のひしゃくの柄にあたる部分に位置して、重要視されていた。そして斗柄は、日々の移ろいのなかで、一定の万角を指すことが大むかしから知られていた。斗柄は北極星を中心に一日一回転する。そこで、これを十二等分し、時刻、日、季節を知るのに用いられるようになり、これが発展して十二直という日々の吉凶を占うことが行われるようになったのである。
■十二直の配当
冬至の頃、斗柄が真北(子)に向かうので、この日を建子の月とした。なお、立春、啓蟄、清明など節気にあたる日は、前日の十二直を繰り返すことになっている。これで、うまく十二直が巡回し、一年たつと一回りズレて、もとの十二支との組み合わせに戻る。ところで、日に配当される十二直と十二支は、数が同じであるから、何日たっても同じ組み合わせで移行していく。これでは日の吉凶を占っても、おもしろくも何ともない。そこで、十二支と一カ月一日ずらして、一年後にまたぴたりと合うようにしたのである。

■12ヶ月の名称

旧暦で呼ばれていた12か月の名称。
・睦月(むつき)…正月は貴賎が往来して拝賀し、親族相集まって娯楽遊宴する睦び月で、この睦び月がむつきの語源である。
・如月(きさらぎ)…寒さで着物を更に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされる。
・弥生(やよい)…草木のいよいよ生い茂る月、「いやおひ」繁る月の意味とされている。
・卯月(うづき)…卯の花(ウツギの花)が咲く季節なので、「卯の花月」の略とする説が有力とされる。
・皐月(さつき)…耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。
・水無月(みなづき)…水の無い月と書くが、水が無いわけではない。「無」は、神無月の「な」と同じく「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味である。
・文月(ふづき)…短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月 (ふみひらきづき) 」が転じた。
・葉月(はづき)…はづきの由来には諸説ある。まず木の葉が黄葉して落ちる月、すなわち「葉落月」がなまった。
・長月(ながつき)…古来から、ながつきは「夜長月」の略であるとの説が有力である。つまり、秋の夜長の頃という意味である。
・神無月(かみなづき)…「十月 かみなづき 出雲には鎮祭月といふ」とあるところから知れるように、古くから10月神無月説が有力である。
・霜月(しもつき)…霜月という名の由来については、字義どおり霜が降る月であるからとする説が有力である。
・師走(しわす)…12月は一年の終わりで、皆忙しく、師匠も趨走(すうそう/ちょこちょこ走るの意)するので「師趨」となり、師走となったとする説が一般的である。

■十二支とは?

十干よりも古く、殷(いん)の時代には使われていたともいわれる。十二支は12カ月の順序を示すための記号であった。はじめ、子は正月、丑は二月…と順ぐりにつけていったものと考えられる。正月を寅としたのは漢時代以降である。

■十干(じっかん)とは?

十干のもともとは、日の順序を示すための符号であったと考えられる。つまり、一カ月を上旬・中旬・下旬と、三つの旬にわけた場合の、ひとつに含まれる10日間を示す記号であった。第一日目を甲、第二日目を乙、第三日目を丙…と使ったのである。日本でも、戦前の小学校においては、生徒の成績を表わす記号として通信簿に記載されたりしていた。本来、単に順序を示す符号としての十干は、後に五行説(木・火・土・金・水)と結びついて、複雑な読みと意味をもつようになり、吉凶や縁起、また、さまざまな迷信や俗説を生じさせる原因にもなった。
■十干の語源
・甲(こう)…草木の種子を蔽う厚皮のことで、種子がまだ甲皮を被っている状態。
・乙(おつ)…草木の幼芽が伸長しえないで屈曲している状態。
・丙(へい)…草木が伸長してその形体の著明となった状態。
・丁(てい)…草木の形体の充実した状態。
・戊(ぼ)…草木の繁茂して盛大となった状態。
・己(き)…草木が充分に繁茂して盛大となり、かつその条理の整然となった状態。
・庚(こう)…草木の成熟固結していきづまり、自ら新しいものに改まっていこうとする状態。
・辛(しん)…草木の枯死して、新しくなろうとする状態。
・壬(じん)…草木の種子の内部に、新しいものがはらまれる状態。
・癸(き)…草木の種子の内部にはらまれたものが、しだいに形づくられて、その長さが測られるほどになった状態。

■閏(うるう)とは?

太陽暦と太陰暦、太陰太陽暦の場合で、閏の置き方に相違があるが、そもそも閏が設けられる原因は、太陽年も朔望月(さくぼうげつ)もその周期に一日以下の端数があるからである。その端数の時間や日数を蓄めておいて、一日あるいは一カ月とすることを置閏という。閏は潤と書くこともあり、ものごとが潤い余分となる意味から出た語であろう。また閏は門構えに王の字を書くのが正しく、壬を入れるのは俗字である。グレゴリオ暦では、一年を365.2425日とするために、4年に一度の閏を400年間に3回省略することにしており、その方法として西暦が100の倍数の年は400の倍数の場合を除き閏を省き平年とすることにしてある。
■なぜ閏日は二月に置いたのか?
古代ローマの暦法で、一年はマルチウス(三月)に始まりフェブルアリウス(二月)に終わった。そこで閏は年の終わりであるフェブルアリウスに置かれたのであるが、古代ローマ暦は太陰太陽暦で、二年ごとに22日ないし23日のメルカドニスという閏月を挿入したが、カエサルの改暦によって、閏はたった一日の「閏日」になったが、挿入する場所は従来通りフェブルアリウスの23日と24日の間でこれを「23日の繰返し」と呼んだ。

■週と旬、七曜の伝来

■週…一年を12か月に分けるのは、月の朔望(さくぼう)に由来するが、その一カ月を朔から上弦、上弦から望(満月)、望から下弦、下弦から晦(新月)へと七日毎に四分する習慣が週の起源であると考えられている。
■旬…殷(いん)王朝の時代に、10日を単位とする「旬」が用いられた。旬は一カ月の最初の10日間を上旬、中の10日間を中旬、後の10日または9日間を下旬とした。
■わが国への七曜の伝来
週と七曜の習慣は、キリスト教とともに中央アジアを経て中国にまで達した。また仏教占星術とも集合して『宿曜経(すくようきょう)』という経典が成立した。この『宿曜経』は、弘法大師によって日本に伝えられた。平安時代に宿曜占星術が貴族の間で流行するようになると、具注暦の最上段に二十八宿(古くは二十七宿) と七曜が記載されるようになった。その際、日曜は「蜜」あるいは、「蜜・日」という字で表記された。七曜は一部の地方暦で一時混乱があったほかは正しく循環され、欧米諸国の曜日と一日の食い違いもなく運用された。